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住宅の世界にいると「小さくても豊かに」ってよく聞きます。

これってどういうこと?って思ってました。特にこの業界に入りたての頃は。

お客さんにも言われたり、また聞かれたりしたことを思い出します。

以前は言語化能力が足りずにモヤモヤした答えしか出せませんでした。

お客さんの方が頭が良くて、答えを出してくれていたように思います。

(プロフェッショナルとして情けない。)

現在は以前よりは言語化できていると思うので少々整理してみたいと思います。

「小さくても豊かに」という言葉は「小さい」ということが「豊かではない」ことにつながっている前提で成り立っています。「大きい」→「豊かである」というわけです。「モノ・空間の大小」が「豊かさの大小」につながっているというわけです。もちろん空間としての広さは何物にも置き換えられない場合も多いですし、それがそのまま価値の大小につながることも多いと思います。ここでは「そうじゃない場合もあるよね」くらいに考えて話を進めてみます。モノの大小が豊かさと完全に一致しているわけではない例として、私は「MINI」というクルマを思い浮かべます。その名が示す通り、決して大きいクルマではありません。しかし、「MINI」をして「安っぽい」と感じる人は少ないのではないかと思います(そして私は結構好きなクルマの一つです)。筋肉質というか、ギュッと詰まってるというか、「密度の高さ」を感じます。私はこの「密度の高さ」が空間としての大小とは関係なく「豊かさ」を感じさせているのではと思います。大きな家でも小さな家でも、この「密度の高さ」を求めた家は「豊かさ」につながっているのではないかと感じています。

「久留米の家」をその視点で評してみるならば、まさに「高い密度」の家だと思っています。ごく一般的な家からすれば広い家(とはいえ大きなハウスメーカーの展示場からすれば可愛らしい大きさかと)ですが、その空間的広さに負けない「高密度」の家。その「高密度」の空間をたっぷりと味わい、住みごたえを感じる家になると確信しています。私が勝手に盛り上がっているわけですが、完成した暁には、ぜひ皆さんにも感じていただければと思います。

完成が楽しみです。

 「プレタポルテ」の話を考えていたら「スノーホワイト」のことを思い出したので少し。

 「スノーホワイト」というとほとんどの方は「白雪姫」を思い浮かべると思いますが、私たち古くからのAppleファンは違うものを思い浮かべます。Apple IIや古いMacintoshがそれです。なんでそんなものを思い浮かべるのかと言うと、それらの製品を作るときに使用されたデザイン言語が「スノーホワイト」だからです。

 「スノーホワイト」はハルトムット・エスリンガー(ヘルムート・エスリンガーと書かれていることもありますが、ここでは手元にある彼の著書である「形態は感情にしたがう」に記載された読みに準じています)がApple(というかスティーブ・ジョブズ)のために開発したデザイン言語であり、それまでの退屈なデザインのApple製パーソナルコンピュータを(それでもそれまでのPCよりはマシだったが)、「コンピュータ業界の最高ではなく、世界で最高のデザインにしたいんだ」というスティーブ・ジョブズの思い・思想・哲学・欲望・衝動を現実にするための強力なツール・ルール・呪文として生まれました。「スノーホワイト」を使って生まれた製品は素晴らしかった。もう少し暇になったら収集したいと思う。機能としては当然使い物にならないと思うのだけど。「スノーホワイト」によって生まれた製品のうちで最もインパクトがあったのは、おそらく「Apple IIc」ではないかと思います(異論は認めます)。私も最初に見たときに、なんて綺麗なんだと思ったことを覚えていますし、今でもそう思います。確か「2010年」って言う映画でロイ・シャイダーが使ってたような。Apple IIcはTIME誌の1984年度「Design of the Year」に選ばれています。

「スノーホワイト」は「ライン、スレート、傾斜なし」と記されていて、これを元に主要な要素と見た目の仕上げについても記述されています。

私がデザイン言語なるものに初めて触れたのは「スノーホワイト」であり、その深淵なる魅力に取り憑かれたのも「スノーホワイト」です。

デザイン言語「スノーホワイト」はまさに世界を変えたと私は思う。少なくとも私の世界を変えてくれて、ホームラボに至ったと思う。家は住む人の世界とその周りの景色を変えるから、そこにはデザイン哲学が必要だと私は強く思う。そう思える要因の一つとして「スノーホワイト」とそれを元にしたプロダクトは私の中に存在しています。

 建築中の「久留米の家」の設計を伊礼先生にお願いした理由の一つに「プレタポルテ」という考え方があります。元々はファッション用語であり、「オートクチュール」の対義語として「プレタポルテ」が存在しています。以下にWikipediaからの引用を記します。

【プレタポルテ】

オートクチュール(高級注文服、高級オーダーメイド服)は、限られた個人客からの注文を受け、個人の体型に合わせ、手作業で製作した服を顧客に渡すという流れであるが、プレタポルテ(高級既製服)は、基本的には卸売業者からトルソーを使い、立体裁断による型紙作り(産業パターン)を経て、大量受注して生産する流れとなる。

かつて既製服は、既製品という意味を持つ「コンフェクション」や「レディ・メイド」と呼ばれていたが、これらの言葉は「大量生産された粗悪な安物」というニュアンスを持っていたため、それらと区別するために「プレタポルテ」立体裁断、産業パターンという言葉が生まれた[要出典。その後、全体的な既製服の品質が向上し、prêt-à-porterは既製服一般を示す言葉となった[要出典]。一方、日本語では当初の区別のまま「プレタポルテ」は高級既製服という意味で使われている 〜Wikipediaより引用〜

 伊礼先生はご自身が注力されているi-works project(ホームラボも参加しているプロジェクトです)の中で「特定の誰かのための「特殊解」ではなく、「一般解」として心地よく住まうことのできる家」を提唱されていて、その説明として「すべての家がオートクチュール(高級注文住宅)である必要はなく、プレタポルテ(高級既製住宅)も十分に資産価値が高い家ではないか」と話されています。私もこの考えにとても共感しています。高級注文住宅の「特殊解」を「一般解」に置き換え、「オートクチュール」でしか成し得なかった高品質・高い資産価値を「プレタポルテ」で実現する。しかも完全な既製品ではなく、標準化された各部位・デザイン(問題解決手法)を惜しみなく投入した注文住宅として作り上げていく。そんなことが出来たら久留米に建つ家や、そんな家が立ち並ぶ久留米の街並みや、町の魅力は何物にも変え難い町の財産として後世に残していける、と私は思います。いや、そんな町にして、子どもたちに残したいと思います。その一歩目、マイルストーンが「久留米の家」だったらいいなと思っています。

 これまでホームラボが取り組んできたことの一つの到達点であると共に、新たなスタート。

 私が一番その完成を待ちわびているのかもですね。

 先週開催されたジャパンホームショー(Japan Home & Building Show)に実に4年(3年かもしれません。よく憶えてません。)ぶりくらいに行ってきました。この展示会は住宅系の様々なものが展示されるもので、一般の方ももちろん入れますが、主にはプロフェッショナル向けの展示会です。開催場所はコミケなども開催される東京ビッグサイトです。とっても広い展示会場で、ジャパンホームショーと同時にいくつかの催物も開催されてました。もちろんこちらも見学しました。開催されていたのは以下の通りです。

 

Japan Home & Building Show2023

ビルメンヒューマンフェア&クリーンEXPO2023

不動産ソリューションフェア

フローラル・イノベーション2023

JAPANTEX2023

アジア・ファニシング・フェア2023

(名前を聞いただけでは何の展示会なのかわからないものもあります。)

 

 久しぶりのジャパンホームショーだったのでかなり期待して臨んだのですが、期待しすぎて空回りしてしまいました。革命的な(現代風に言えばイノベーティブな)商品が出てるかなぁとか思って回ったのですが、そこまでのものはなく(私の目が曇っていて見逃してる可能性は大いにあります)ちょっとだけ寂しい気持ちでした。住宅の技術も停滞気味なのかなぁ。建設用3Dプリンタとか期待していったけど展示はなく。

 ちょっと落胆した気持ちだったのだけど、後から記録を見ながら思い返してみると結構みるべきものもあり、記録って大事だなと当たり前のことを再認識した次第でした。一例を挙げたいところですが、長くなりそうなのでまたの機会に譲ります(またの機会が訪れないこともしばしばありますのでご容赦ください)。

 色々な進歩はゆっくりの時もあれば、一気に進む時もありますが、完全停滞はなく、静かに情熱を持って取り組んでいるところがやっぱりあります。小規模な会社がすごく面白いものを開発して乗り込んできたりして、やっぱり展示会は面白いなと思います。ネットもいろんな発見があるけど、実際に見て話せるチャネルも同じくらい発見があり、大切な機会だと思います。実物と画像との間にはなかなか超えられない情報量の差を感じます。人間の目と感覚は本当にすごい性能で、見た瞬間にその本質を見抜く事があります。家も実物でしか伝えられない要素がたくさんあり、そこが奥深く、ワクワクするところでもあります。

 ともあれ、東京ビッグサイトの私的な1番の楽しみは階段を登ることで、今回もとても気持ちよく登ることができました。

また次もエスカレーターを利用することなく階段を楽しみたいと思います。

 家を考える上で「美しい」ということは避けて通れない大切な要素の一つ。

「美しい」というものは誰の基準で見るかによって大きく変わるもので、もちろん一番大事なのはそこに住む人の基準です。しかしながら、住む人の基準だけで終われないのが家の難しいところであり、素敵なところかなと思います。家はまあまあ大きいので、周囲の環境に少なからず影響を与えます。

 また、家はとても長くそこに存在しますので、ずいぶん先の未来の人々にも影響を与えます。それこそ、もし自分の子供がその家にそのまま住むんだったら子供の基準、子供ではないけど子供の世代の誰かが住むんだったらその人の基準。まさに「時間」を超えて様々な評価の基準にさらされるわけです。その基準はそのまま家の価値(ここでは価格と考えてみてください。価格が家の価値の全てではないことは当然として)につながります。価値がないと思われたら100年を待たずして壊されるでしょうし、価値があると思われたら200年も300年も建っているかもしれません。

 私の考える家の美しさはこの辺りに立脚しています。ホームラボの家はどれも根源的で原初的な形をしています。構成する要素をできるだけ少なくして、見た人の心をできるだけざわつかせない、トラディショナルでどこか懐かしい、そんな家です。普通のカタチを、普通ではないところまでキレイに美しくつくり、ずっと先の人たちにも「なんだかキレイだよね」って言ってもらえる家をこれからも考えていきたいと思います。

 「久留米の家」はその考え方も含めて、「いま」という時に久留米につくるべき家と考えてます。

 完成が楽しみです。

 ホームラボのFRAMEというカテゴリに「SUMUTO」という家があります。

特徴のある外観と内部デザインなので万人に受け入れられる家ではないのですが、熱狂的なファンがいる家でもあります。かくいう私もその一人。ファンっていうのもおかしいのです。なにせ自分で企画した家ですので。

 この家の設計コンセプトは「雨の日を楽しむ家」です。雨の日って敬遠されがちですが、私は好きです。もちろん豪雨とか土砂降りはあまり好きではありませんが、程よい雨はすこぶる好物です。雨の日って静かな気持ちになれるし、音の種類が減るのが良いです。

そんな雨の日を楽しむ家が作れないかなと思いつき、それをそのままコンセプトにしたものが、「雨の日を楽しむ家」で、SUMUTOのコンセプトになりました。

 「雨の降る日の朝に、窓を開けて、好きな場所で本を読む。そしてたまにはそのまま寝てしまう。気づくとまあまあ時間が経っていて、お昼前くらい。窓際にいたのだけれど、深い軒が日差しを受け止めてくれていたので心地よい暖かさを感じる。そろそろお昼ご飯食べようかな?」って生活を自然に実現するためにどう設計したらいいのか?

 そして生まれたのが「SUMUTO」です。

雨、本、居眠り、窓際とかって考えてたら、「和」と「現在」って新たな言葉が連なり、「不必要に部屋を繋げない」、「少し狭い空間を豊かに感じる」とかが加わっていきました。久留米、筑後の国にこんな家があったらいいなと夢想しながらつくっていった家です。

 パンフレット作る時にはカッコつけてしまうので、こんな小さな出発点は隠れてしまって載せなくなってしまうのですが。ブログなんでちょっと書き記してみました。

 FRAMEの家はそれぞれに出発点があります。時間があれば(気が向けばとも言いますが)また書いてみたいと思います。

先週の月曜日に『久留米の家』棟上げ致しました。

(正確には棟は上げたものの、いわゆる棟上げの時に行う仕事は次の日まで)

棟上げっていいです。というか私は結構好きです。

基礎だけがある状態から、一気に家の骨組み・骨格が出来上がっていくのはすごく不思議な感じです。昔の人が神事と捉えたのも無理からぬこと。神事というか神事を執り行ったわけですが。

棟上げの夜に昔を思い出して(懐古主義?)、その家の一階で酒席を設けて棟梁、大工さん、クレーンの方、スタッフと宴を開きました。

ほんとに懐かしい光景でした。

棟梁たちも「最近はないよね」とか。

うちのスタッフも若い人は「初めてです」

ちょっと年の方は「20年くらい前に経験したのが最後」

今はいろいろと事情が変わって棟上げの後に宴会はちょっと難しいです。

それはいいことだと思うけど、寂しいなぁって気持ちもおじさんにはあるのです。

自分のとこの家だってのと、大通りに面した比較的住居の少ない場所だからとご近所に甘えて行わせていただいたというとこです。

しかしながら、やっぱりやってよかった。

みんなの笑顔が、語り合う声が、少し肌寒い秋の夜にとても合っていて嬉しかった。

壁を作ったら二度とみれなくなる角度に月が出ていてとても美しかった。

うまい酒、みんなの笑顔、とても幸せな時間で、二度とない瞬間を切り取って束ねた唯一無二の時間。きっと忘れないだろうな。いつまでも人に話したくなる、そんな光景。

こんな時間の積み重ね(積層)が家を作っていくんだと改めて実感しました。

みんなほんとにありがとう。

良い家になると確信しました。

伊礼先生 ありがとうございます。

「早すぎるよ!」って言われそうですが。

誰かにお礼を言う時ってほんとに幸せな時間なので、何度もお礼を言いたいのです。

新しい家を西町につくってます。

西町といっても花畑駅に近い方なんですが。

現在のところ、私は増えてしまった色々な雑用があって直接お客様と話して家を建てていくことはやっていないのですが、年に数棟のレディメイドハウスを計画して建てています。そのうちの一棟。

今回の家は、これまでとは全く違った設計に挑戦しています。

どんなバランスの空間が美しいのか?どんな形状の家が時間を超えて愛されるのか?

今までのホームラボの家も(そしてこれからのホームラボの家も)同じテーマをずっと考え続けてきたわけですが、もう少しだけ振り切った家を考えてみようとして設計した家です。ですので、この家は全くもって万人には受け入れ難いものになったと思います。

家族が気持ちよく暮らす家に本当に必要なものは何か?を『私』というフィルターを通した時に何ができあがるのか?100年後の私が『素敵だな』と思えるものはどんな家かなということを夢想しながら時間をかけて考えた家の原型です。まさに今の自分が住みたい家なのかな。

完成が楽しみです。

2023/10/16

徳冨です。

ずいぶん長いことブログをやめていたのですが、また書いてみようと思い始めてみました。

建築のこと、私の好きなこと、感じたことなど、どちらかといえば仕事と関係ないことが多くなると思われます。

ブログのタイトルである『ひねもすのたり』とは、もちろんあの有名な句にインスピレーションをもらっているわけですが、『ひねもす』=『一日中、日がな一日』、『のたり』=『のんびり』という意味です。そんな生活とはほど遠いところにいるのですが、まあ願望です。ものづくりとは対極に位置する境遇かなとは思います。

いずれにせよ、のたりのたりと書いて参ります。